第3章02

 午後7時、採掘都市ジャスパーの採掘船本部。

 駐機場に停まっているアンバーの船内食堂に、剣菱と穣がいる。

 二人はテーブルを挟んで向き合って座り、スナック菓子をつまみつつ、缶ジュースを飲んでダラダラしている。他には誰も居ない。

「やっぱ酒が飲みたいな……」

 テーブルに片肘を付き、もう片方の手でジュースの缶を揺らしながら穣が呟く。

 剣菱は「船内、お酒禁止ですので」と言って缶ジュースを一口飲んでから

「本当は外で飲んで憂さ晴らししたい所だが」と溜息をつく。

「外だと愚痴が言えねぇ。誰が小耳に挟むかワカラン」苛ついたように穣が言う。

「そうなんだよなぁ。かといってあんまり船内に居ても、本部から文句言われるが」

 穣は天を仰ぐと「明日も仕事かぁー」

 剣菱も仏頂面で「仕方ねぇ。皆、護よりもイェソド鉱石の方が大事らしい」

 はぁーっ、という長い溜息と共にテーブルに突っ伏した穣は、右拳でドンとテーブルを叩いて顔を上げ、呟く。

「……どいつもこいつも採掘量って……」

「まぁアレだ。採掘監督に再任おめでとう穣君!」

 剣菱は乾杯するように缶ジュースを掲げる。

「護が居なくなったからだ!」穣は上体を起こして悲痛な叫びを上げる。

「何で助けにいかねぇんだ!無事でいるなら、なんで!」テーブルを再びドンと叩くと「あの黒船の人型探知機、ウソついてんじゃねぇだろうな……!」

 穣を見ながら剣菱は缶ジュースを一口飲み、テーブルに置いて呟く。

「黒船さんは、お利口さんな船だからな。イイコばかりで」

「アンバーは馬鹿でワルイコ?」皮肉な笑みを浮かべつつ穣が言う。

「落ち着けや」剣菱は少し困った顔でそう言ってから「ワルイコではある」

「そもそも俺はずっと馬鹿な悪い子です。あのクソッタレの満に散々言われた、だけどそれに屈するようなイイコにはなりたくねぇ。その決意の証がこのハチマキ!」と自分の額のハチマキを指差す。

 剣菱は溜息混じりに「満さんなぁ……」と言って腕組みをすると

「満さんこそ、管理に何か言ってもいいような気はするんだが。弟を助けてくれと」

 すかさず穣が「クソッタレだから無理」

 うーん、と剣菱は頭を捻ってからポテトのスナック菓子を摘まんで食べ、缶ジュースを飲み溜息をつき、やおら「しかし」と切り出す。

「管理は人工種にタグリングを付けときながら、護を連れ戻しには行かない。人間に保護されたから安心って言ってるが、その人間が行ける所にどうして航空管理が行けないんだ?おかしいよな」

「……」

 穣は不穏な表情のまま、黙って話を聞いている。剣菱は話を続ける。

「まぁ、本当に護が無事で、安全な人に保護されているなら、それでいいんだが。……どうもこう、人工種と管理の関係ってのは」そこで少し黙ると、深い溜息をついて「難しい……」

「でも船長がアンバーから降ろされなくて本当に良かった」

「んーまぁそう簡単には降ろされねぇけどもよ」剣菱はそう言ってから

「だけどな、今回は事故だから処罰は無い代わりに採掘しろ、ってのは……何なんですかねぇ」

 穣が吐き捨てるように「こんな状況で採掘もへったくれもねぇのに」

 剣菱は缶ジュースを飲み干して、穣を見る。

「サボっちまうか。どうせウチが採らなくても、黒船がいっぱい採ってくれるし」

「それはそれでムカつく。あのカルロスに、アンバーの分まで採ってやったとかドヤ顔されたらブッ殺したくなる」穣はそう言うと「うあぁぁ!」と頭を掻き毟って「しゃーねぇ!仕事すりゃいいんだろ畜生」

「落ち着け穣。そろそろ船から出ないとヤバイ。どっか食事に行くべ。酒はアカンけど」

「えぇ」不満そうに剣菱を見る。

「酔って口を滑らせたら恐い。どこで管理が聞いてるかワカラン」



 同時刻、採掘現場の近くに停泊している黒船の船内。

 二人部屋にカルロスが一人。二段ベッドの下段に腰掛け深く項垂れ両手に顔を埋めて溜息をついている。この時間、通路の照明は若干暗くなっているのでドアの採光窓から入る光も少なく、部屋は殆ど真っ暗に近い。

 (……護の探知がこんな事になるとは……)

 項垂れたまま、首のタグリングに手を当てる。

 (もしあの時、護を探知しなかったら、こんな事にはならなかった。私は一体、どうしたら……)

 そこでハッ、と何かに気づく。

 (リキさんが部屋に戻って来る。寝たフリをしなければ)

 腰掛けたまま上体を倒してベッドに横になり目を閉じる。

 暫くして船室のドアがガラッと開くと、通路の明かりが部屋の中を照らして驚きの声が上がる。

「おや?」

 機関長のリキテクスは部屋の照明を点けてカルロスの所に来る。

「監督。……カルロスさん。カルロスさん」

 肩を叩かれて、カルロスは「ん……」と唸って目を開ける。

「ああ…いつの間にか寝ていた」

「珍しい。随分お疲れですね」リキテクスはそう言って笑うと

「ゴハン食べないと。ジュリアさんが心配してました。貴方、お昼を食べてないそうで」

 カルロスは上体を起こして「野暮用をしていたら食べる暇がなくなったんだ」

「急がないと夕食も食べられなくなりますよ」

「うん」

 立ち上がって、部屋を出る。


 (……食べられるだろうか)

 通路をゆっくり歩きつつカルロスは喉元を抑える。食べる事が、こんなに怖いとは……。

 食堂の手前で一旦立ち止まり、静かに息を整え、意を決したように歩き出して中に入る。

 すると配膳カウンターの奥から「あ、来た。遅かったですねカルロスさん」とジュリアの声。

 カルロスは「うん」と返事しつつカップを手に取りポットのお茶を注ぐ。

 食堂にはジュリアとカルロスの他には誰も居ない。

 ジュリアがカウンターの上に野菜炒め定食が乗ったトレーを置く。それを受け取り、ジュリアのいる方を背に席に着くカルロス。ご飯を少しだけ口に運ぶが、苦しそうな顔をする。

 (飲み込めない……でも、食べなければ不審がられる。体調不良なのかと、問い詰められる)

 やや震える手でご飯を口に運び、苦し気に飲み込む。

 吐き気を必死に我慢し、苦しさを堪えて何とか食べる。

 (……体調不良は、人工種には、あってはならない……)



 暫し後。

 船内に二ヶ所あるトイレの片方、中央階段近くにあるトイレからカルロスが青い顔で出て来ると、隣の洗面所で手を洗いつつ溜息をつく。

 (散々苦労して食べた食事を全部吐くとは、アホみたいだな……。そういや昔、拒食症とかいう人間の病についてテレビでチラッと見たが、まさか人工種の自分が人間の病になるとは)

 水を止め、トイレに入る前に洗面台の横に置いておいた自分のハンドタオルで手を拭く。

 そこでハッ!と何かに気づく。

 (まずい、昴がこちらに来る。トイレか)

 慌てて洗面所を出ると中央階段の階段室に入り、音を立てないよう静かに階段を降りると常夜灯だけが灯る薄暗い採掘準備室に入って溜息をつく。

 (こんな時、自分が探知人工種で良かったと思うが情けない。しかし護を探知しただけで、なぜこんな症状が。今までこんな事は無かった。護の探知に一体何が)

 その瞬間、ポロリと涙が零れる。

 (いかん、また)

 ハンドタオルで涙を拭う。

 (どうして泣くんだ、なぜ涙が!……私は壊れたんだろうか。この症状は治るのだろうか)

 壁にもたれ掛かりつつその場に座り込むと、膝を抱えて顔を伏せる。

 思考がグルグルと頭を駆け巡る。

 (もう終わりだ、こんな壊れた人工種は。どうせ黒船には上総がいるし、遅かれ早かれ自分は捨てられる。もう食べられない事を誤魔化すのは疲れた……。船長に正直に話そうか。そしてメンテナンスに送られて、黒船から降ろされて、私はどうなるのだろう。普通ならば新しい職を与えられるが、壊れた人工種に職はあるのか……)

 暗澹たる気持ちで長い長い溜息をつく。

 (どうして、こんな……)

 

『護の所へ行きたい』

 

 途端に目から涙が溢れ出る。ハンドタオルで涙を拭きつつ「ダメだそれは」と小さく呟く。

 そんな事を思ってはならない。あの時、必死に、飲み込んだのに……。

 どんどん出て来る滝のような涙を必死に止めようと上を向く。

 (護が羨ましい。人間の居ない世界で楽しそうに生きている護が。自分も、あんな風に……)

 でも叶わぬ希望なら知らない方がマシだった。

 希望が無ければ絶望もしない。

 (何も知らないままなら、自分の中に、こんな渇望があった事も、それがどれだけの苦しみを生むのかも、気づかなかったのに……)

 ハンドタオルで涙を拭う。

 (私はもうこんなに壊れてしまった。どうせいつか処分されるなら、ここから逃亡してしまうか……。だってもう生きる意味も無い。あまりに苦しすぎて……だが、しかし)

 カルロスは首に付けられたタグリングを触りながら

 (これがある限り、管理は私を見つけるだろう。逃亡すら出来んのか……)

 深い溜息をつき、そのまま虚ろな目でボーっとする。

 ……どうしたら、どうしたら、どうしたら、と意味の無い小さな言葉が頭の中で繰り返される。

 暫くして、そろそろ寝なければと思った瞬間、突然ハッ!と目を見開き、小声で呟く。

「私は探知だった」

 ……この、タグリングへの管理波を妨害すれば……と思いかけて、でも無理なんじゃないかと悩み始める。

 (確かに私は探知妨害が得意だが……。他の探知人工種のエネルギーを攪乱したり遮断したり出来るし、黒船の位置を隠す為に他船のレーダー妨害をした事もある。だけど人工種管理のタグリング管理波は、いくら何でも……)

 腕組みをして真剣に考え始める。

 (そもそもそんな事は今まで考えた事も無かった。管理波の妨害なんて、出来るんだろうか)

 もしも失敗したら、と思うと不安と恐怖が沸き上がって来る。

 (失敗したら確実に終わる。それこそ『廃棄処分』にされるだろう。でも、ここに居ても同じ事だ。それに……)

 カルロスはグッと拳を握り締める。奥歯を噛み締め、ゆっくり呟く。

「やって、みたい」

 その目に挑戦欲という生気が灯る。

 (……探知人工種として、管理への挑戦を、してみたい……)

 決意を秘めた眼差しになると、ゆっくりと立ち上がって、はぁーっ、と大きな深呼吸をする。

 (処分される位なら逃げてやる。例え途中で野たれ死んだとしても、管理に処分されるよりはマシだ。最後に管理に反抗して死ぬなら本望……)

 その時ふと、なぜか穣の顔が頭に浮かんで皮肉な笑みを浮かべる。

 (結局、あのハチマキ野郎と同じか)

 挑戦欲と緊張で武者震いする身体を両手で抱き締めるように抑えて、呟く。

「よし。……護の所へ、行こう!」