第21章03 紺碧の空

 やがて二隻は死然雲海に入り、先頭を飛ぶ黒船のブリッジの船窓も白一色になって視界が消える。

 総司が思わず「うわ、濃いなぁ」と呟き、隣に立つ上総に「探知、大丈夫か?」と聞く。

「んー……」

 目を閉じ眉間に皺を寄せ、身体の周囲を若干青く光らせながら唸る上総。

 駿河も上総を気遣うように「探知しにくいのか?」と尋ねると、上総は大きな溜息をついて「ここからダアトの遺跡を探知出来るかと思ったんだけど……目印の遺跡に行かなきゃダメかなぁ」と悩み顔で目を閉じたまま首を傾げる。

 カルロスは胸に抱いた丸い妖精を撫でながら、「妖精に聞くっていう手があるぞ」とニヤリ。

「むぅ」

 上総は目を開けてカルロスを見る。

「……ちなみにカルロスさん、ここからダアトを探知出来ます?」

「出来るよ」

 その返事にちょっとガックリした上総は「そっかー俺も頑張る!」と言い再び目を閉じるが、駿河の「ちなみに上総君、進路、このままでいいの?」という問いに、ハッとして慌てて目を開け「あっ、えーと、もうちょっと右寄りにーってか2時か」

 総司が苦い顔で「ナビしっかりしてくれー!」と叫ぶ。

「大丈夫、2時です! ……ハイッそこで直進、……若干上昇して……その高さでオッケーです!」

 いきなり気合が入った上総に駿河が「良かった」と呟き、カルロスが「頼もしくなった」とニッコリ。

 上総は「ちなみにあの」と言うとカルロスを見て質問する。

「カルロスさんって尊敬する探知の先輩とか居たんですか?」

「……過去で言うなら、居ないなぁ。今は、有翼種のドゥリーさんが先生だが」

「じゃあどうやって探知能力を伸ばしたんですか?」

「ん? まぁ……、変な事を色々やったからかな」

「変な事? 例えばどんな?」

 カルロスはフフフと苦笑して

「目を瞑って探知だけで自転車乗って突っ走るとか」

「ええ!」

「スケートボードに乗れた頃は目を瞑って探知だけで乗ったり。まぁ色んなアホな事をやったな! んで次の日絆創膏だらけでボロボロで出勤してきて皆に『何があったんだ』と聞かれるという。試しにやってみ?」

 周囲の皆は目を丸くしてカルロスを見る。

 ジェッソが「な、なんでそんな事を?」と聞くと

「まぁ何というか、色々ストレスが溜まっていたので、ストレス発散の鬱憤晴らしというか」

「鬱憤晴らしで自爆してたら意味無いような」

「だって外に向けて出せないので」

「……まぁ、それは……。しかしそれで探知が上達したと……」

 首を傾げるジェッソ。カルロスが言う。

「上達はしたが絶対にオススメしない練習法だな」

 上総が「俺はやりません。痛い思いしたくない……」と言い、駿河が「しなくていい……」と思い切り苦笑いする。

 カルロスはゴホンと咳払いすると、妖精の頭をポンと叩いて

「まぁ、あれだ。ちなみに最近思ったんだけど、私は探知が好きなんだな」

 ジェッソが「何を今更!」とビックリする。

「う、うん。石茶もそうだけど、ハマると突っ込むタイプなんだ。誰もそこまでやれと言ってないのに勝手に深入りするんだな。だから自分の好きな事を、好きなようにやるのがイチバンだ」

 上総が「そうですね!」と頷く。

「しかし好きな事をするには越えねばならないハードルもある。……小型船の免許取るとか」

「あー……」

 ジェッソが「難しいんですか?」とカルロスに尋ねる。

「覚える事が多くて。石茶の事だったらすぐ覚えるのに、航空法だとすぐ忘れる」

「なんと」

「学科の教本を読んでると眠気が……。採掘船の操縦してる人々を真面目に尊敬しますよ……」

 溜息をつくカルロス。

 総司が「まぁ色々面倒ですからね航空法は……」と呟き、駿河はカルロスに「ちなみに絶対、小型船じゃなきゃダメなんですか? 例えば誰か操縦士をスカウトして中型船を持つとか」と質問する。

「その手も考えた事はあるけど、小型であれだけ値段が高いんだから中型は絶対無理だな」

「中古船だったら安いのあるかもしれませんよ?」

「まぁ確かに中型の方が積載量多くて良いんだけど。何にせよ船を買うには免許が……って小型船免許で中型船買えないぞ?」

「それはそうなんですけど」

「船があれば、誰か雇って操縦してもらうのも手なんだが。買うには免許が……」

 大きな溜息をつくカルロス。

 総司は密かに不安気に顔を強張らせ、駿河は少し嬉しそうに「雇うって、人工種を?」とカルロスに尋ねる。

「いや種族は何でもいいが。ともかく何とか頑張って小型船免許を取るので、船長、副長、ご指導宜しく」

「了解です」

 駿河は微笑むが、総司は硬い表情のまま、返事をしない。

 そこで上総がふと窓を見て「あれ、ちょっと晴れて来た」と言い「雲海の感じが変わった……?」と訝し気に首を傾げる。

 時間経過と共に雲がどんどん消えて行き、ついには綺麗な青空が広がる。

「うわ、晴れた!」

 驚いて上総が叫ぶと、カルロスも少し驚いた顔で「珍しいな、一気にこんなに晴れるなんて」と言い、駿河が「一気に曇ったり一気に晴れたり、雲海って不思議だなぁ……」と呟く。

 窓の外を見る上総の横で、総司は暗い顔のまま黙って操縦に専念している。入り口の野次馬連中の所から総司の表情は見えないが、ジェッソは何となく総司の様子が気になって、ふと思いついて駿河に言う。

「船長、ちょっと甲板に出てもいいですか。雲海が完全に晴れた景色を見たい」

「え、あぁうん。出てもいいけど気を付けて」

 ジェッソがカルロスに「一緒に行きませんか」と言う前に、カルロスの方が「よし甲板に出よう」とブリッジから出てふと立ち止まり、たまたま横に居たレンブラントに「ちょっとコレ、頼む」と妖精を差し出す。

「また曇った時の為に、採掘準備室に置いといた黒石剣を取ってから行くので、先に行っててくれ」

「了解です」

 レンブラントは妖精を両手で受け取り、ジェッソは野次馬達に「じゃあ甲板へ行こう!」と言って、一同は通路を走り出す。


 通路を走る足音が遠ざかると、駿河は船長席を立ちブリッジ入り口から通路を見る。

 誰も居ないのを確認してから再び船長席に戻り、ポツリと呟く。

「……カルロスさんの方に問題は無いようだ。あとは、貴方の心次第」

「今はその話は……。仕事に集中できなくなる」

 無表情に答える総司。駿河は笑って

「大丈夫だ。ここは外地。今、そんな難しい事は無いだろ?」

「……」

 総司の横に立つ上総は、黙って二人の話に耳を傾ける。

 駿河が呟く。

「……何にせよ、あの二人は船を持つ。凄いよな、人工種が個人船を持つって。そして外地を飛ぶんだぞ? 少し前には想像も出来なかった事だ」

「……だけど、俺は……」

 総司が呟く。

 掠れ声で、喉から絞り出すように「この、タグリングが……」と言うと、息を吸ってハッキリと言う。

「あの二人はイェソドに行く事で管理から離れた、だけど俺は逆に、……渦中のど真ん中に突入する事になる!」

「うん。だからこそ皆の希望になるし、皆は応援するだろう。後は貴方がそれをやりたいかどうかだけ。別にやらなくても良い。俺はずっと黒船の船長でもいいし。なぜなら人生は奇想天外で、何がどうなるかワカランからさ。何が良い事なのかなんて後々の判断だよな。ただ……」

 駿河は少し間を置くと

「……例え人工種の船長でも、管理の望む、イイコな船長であるなら、管理に大事にされるだろう」

 そこでククッと笑って「でもそれだと、人工種の皆から怒られるけどな!」と言い「これは本当に大きな事だよな。単に『船長』という地位を得るだけじゃない。そこに大きな意味があるからこそ……、貴方も悩む。それは皆、分かっている。だから貴方がどれだけ悩もうと、それは当然の事だし、そして悩んだ上で出した決断に対して、誰も文句は言えないし、言わせない」

「……」

 総司は俯き、黙り込み、沈黙が訪れる。

 そこへ上総が言い難そうに「あの」と声を発し

「……そろそろ目印の遺跡です。晴れてるから目視できるけど……」

 駿河と総司が同時に「うん」と返事する。

「暫く進路はこのままです。目印の遺跡を過ぎたら、また指示します」

 上総は少し寂し気な顔をすると、総司を見つめて言う。

「駿河船長が船長じゃなくなるのは寂しいけど、俺、総司さんが船長になったら、物凄く応援します」

 総司は口を開いて何か言い掛けたが、言葉に迷って再び口を閉じ、少し俯いて、黙る。



 黒船の甲板では、皆が思い思いに景色を眺めたり妖精と遊んだりしている。

 ジェッソは昴とレンブラントと一緒にハッチのすぐ傍の船縁に立ち、眼下に広がる森を眺めている。

「森、森、見渡す限り、一面の森! ……雲海が晴れると緑の世界だな。街らしきものは無い」

 隣に立つ昴が「遺跡は、いっぱいありそうだけど」と言い、その隣に立つレンブラントは「遺跡って、つまり滅んだ文明だろ。……人間とドンパチでもしたんかねぇ」と呟く。

「どうだろな」と苦笑するジェッソ。

 レンブラントは浮かない顔で「ジャスパーの人間の皆さん、変わってくれるかねぇ……」と溜息をつき、その場に座り込み胡坐をかいて「確かに凄い鉱石に喜んでくれるとは思うが、それって相手の望みを満たしたからだろ? 俺らは採掘師だし、仕事上の関係とはいえ……。なーんか違う気もするんだよなぁ」

 ジェッソは地平線を見つめたまま、腕組みをして「まぁな」と一言。

 両手を背後の床につき、腕に体重を掛けて上体を少し反らしたレンブラントは「有翼種は俺達と完全に対等に、普通に接してくれた。それを知ってしまうと対等じゃない関係に我慢ならなくなる」と言ってから天を仰いでヤケ気味に「空が青いなー」と呟く。

 ジェッソが言う。

「確実な事は、俺達は変われる、って事だ。少なくとも心は、もう縛られていない」

 右手で自分の胸をパンと叩き

「管理がどうであろうと、俺達が変わり続ければいいじゃないか。俺達が変われば、管理も変わらざるを得ない」

「とは言ってもな。……やっぱりコレがあると、管理には強く出られない気がする」

 レンブラントは自分の首のタグリングを指差して

「何かこう……、相手に対して毅然と出来る、堂々と立てる一手が欲しい。霧島研に殴り込みした護やカル……」

 そこで「いや」「いや」と昴とジェッソが同時に話を遮って、ジェッソが「殴り込んではいないぞ!」と突っ込む。

「とりあえずさ!」とレンブラントは面倒そうに言うと「護やカルロスさんみたいに何かこう、強気に出られる何かがあればと」

「そう思えるようになっただけ、我々の進歩だ!」

 ジェッソはそう言ってから「まずあの二人が小型船を持つというのが大きな一歩、そして我々がイェソドに行き来するのが大きな二歩目だ。焦るな、今後徐々に我々の強みを増やして行くんだ、地道に!」と言い、「……大丈夫、我々は確実に進んではいる」と言ってレンブラントを見つめる。

「……まぁな。確かに俺達は進んでは、いる。少し前まで、こんな想いは抱かなかった」

 レンブラントは立ち上がると船の縁に近寄り、空を見上げて「広い空!」と言ってから腕をいっぱいに広げて空に向かって万歳し、叫ぶ。

「広い世界を駆け巡りたい!」


 皆から離れて一人、甲板のブリッジ手前に立ち、船首側を向いて風を感じていたカルロスは、後方から聞こえた誰かの叫びに一瞬、おや? と思うが、よく聞き取れなかったのもあり、特に気にせず溜息をついて、「小型船か……」と独り言を呟く。

 正直、今のカルロスにとっては管理より何より免許の方が大問題で、この免許取得という難題に、もしも管理が邪魔をしてきたらタマランなぁ、と再び溜息をつく。

 ……ただまぁ、あれだけ霧島研でゴネたし、邪魔は無いだろうとは思うが……。

 とにかく皆が応援してくれているし、二隻の皆に世話になりつつ、頑張って取るしかない。

 ジャスパーに戻ってアンバーと黒船がどうなるかはワカランが、何はともあれ二隻でバイトしながら免許を取る!

 そして船を買い、アッチとコッチを繋ぐ採掘をして……その後どうなるのか……えぇい人生は何がどうなるやらだ、私は死を覚悟で黒船から逃亡したら、今、こんな事になっているじゃないか! やってみなければワカラン! 少なくとも美味い石茶が飲めればいい!

 そんな事を思いながら、ホルダーに入れた黒石剣を自分の正面に真っ直ぐ立て、両手を持ち手の先端に置くと、空を見上げる。雲一つ無い、果てしなく広い、吸い込まれそうな快晴の空。

 ……雲海も不思議だが、空も不思議だよな。どんなに『天気』が変わろうと、空という無限の空間そのものは、不動のまま、全ての『世界』を包み込んでいる。それは大いなる未知、可能性。

 カルロスは満面の笑みを浮かべて呟く。


「紺碧の空だ!」