第17章04 痛みと共に

 18時近く。

 三隻はケセドの街の石置き場上空で待機している。付近には何隻か船が居て、三隻同様、上空待機中。

 日が落ちて辺りは薄暗くなったが石置き場は照明に照らされて結構明るく、下で、船から積み荷を降ろす採掘師や石屋の動きが上空からでもよく見える。


 黒船の甲板の船首付近にはジェッソとレンブラントが並んで立ち、その横には床に座ったオーカーが居て石置き場の様子を眺めている。ジャスパーでは巨大な立体駐機場の建物の中に入って積み荷を降ろすので、屋外で、甲板の上から積み荷を降ろす光景は実に新鮮に見える。雨の日は大変だろうな、どうするんだろう等と思いつつ、ジェッソは密かにフゥと小さな溜息を漏らす。実の所、石茶石の採掘が終わってから気持ちが若干沈みがちで、更に夕暮れ時という事も相まって寂寥感というか虚しさというか、そんな重苦しい気持ちが益々強くなっていた。

 ……明日、向こうに戻るのか……。


 『戻りたくない』

 『戻れば責められる』


 ……しかし戻らねばならない。鉱石を採って稼がねば。なぜなら我々の稼ぎの一部は人工種製造所に送られ、その金で新たな人工種が作られる。稼がないと人工種の存在そのものが……とはいえ向こうでは『人工種らしくする事』が求められる。つまり『人間より下の存在であること』。そのような振る舞いを、暗に求められる。


 『あんまりいい気になるんじゃないぞ?』


 管理の言葉が脳裏に蘇り、心がズンと重くなる。

 ……せっかくイェソドに来て、有翼種達が我々を解放しようとしてくれているのに、戻ればまた……。

 だが、戻らねば。周防先生をSSFに帰さねばならない。

 心の重荷を隠すように、ジェッソは腕を組んで少し俯き、下に見える石置き場の光景をじっと見つめる。



 黒船とアンバーが石茶石採掘をしている間に採った、細身の5本のケテル鉱石柱を甲板に積んだブルートパーズのブリッジでは、カルナギが石置き場と電話をしていた。

「え、40分待ち?! ……しゃあねぇな、分かった」

 受話器を置いたカルナギは困ったように「今日、なんか混んでやがる」と呟いて背後のドゥリーとターさんを見る。

「二人共、その耳電話で黒船とアンバーに40分待つから夕飯でも食っとけと連絡してくれ。俺らもメシ食って待とう」

 ターさんは「了解」と返事し、ふとドゥリーを見て「あ、ちょっと離れた方がいいか」とドゥリーから少し離れてインカムに「もしもしアンバーさーん」と呼び掛ける。

 ドゥリーもインカムに「黒船に連絡だーおーい黒船の人ー!」と言い「あっ船長、ドゥリーです」


 黒船のブリッジのスピーカーからドゥリーの声が流れて来る。

『今日なんか石置き場が混んでて40分待ちだから、その間にゴハンでも食べてて』

 駿河は手に持った受話器で「了解しました」と返す。

 するとスピーカーから小さく『あっ待った、ドゥリー!』というカルナギの声が聞こえる。

『なに』

 カルナギはドゥリーに近づいて来たらしく、声が大きくなる。

『黒船のは最後に降ろすから、待ち時間もっと長い。あー……とりあえず、一時間待ちって事で!』

 駿河は「聞こえました、一時間ここに上空待機ですね」と言い、了解と言おうとした所で操縦席の静流が「船長!」と声を上げる。

「もしどこか着陸できる所があれば、ブリッジに私だけ残して船長は皆と一緒にゴハンが食べられますが」

「お、なるほど。……もしもしドゥリーさん、どこか船が着陸出来る所ありませんか? 出来れば下で待機したいんです」

 ドゥリーは『あぁ』と言い、カルナギに『黒船がどっか着陸したいって言ってるー』と伝える。

『えーっと』というカルナギの声に続き、誰かの『船長、すぐ隣の駐機場空いてるよ、二隻分ある』という小さな声が聞こえる。

 カルナギは怪訝そうに『しかし隣の駐機場は』と言ってから『あっ、もう18時だから空いたのか。よしそこだ、ドゥリー! あっ、ター! アンバーにも言っとけ、隣の駐機場に』カルナギの声はそこでドゥリーの『もしもし黒船さーん』に掻き消される。

「はい」

『右側の林の向こうに駐機場あるの見える?』

「はい。あそこに行けばいいんですね。じゃあ一時間後にここに戻ってきますので、では」

『ほい、ごゆっくりー』

 駿河は受話器を置き、静流に指示する。

「駐機場に移動しよう。この場で2時に方向転換」

「船首、2時に向けます」

 船の動きを確認した駿河は再び受話器を取ると、船内放送のボタンを押す。

「船長です、石置き場が混雑していて駐機場で一時間待機になったので、今のうちに採掘メンバーは夕飯を取っておいて下さい。次の作業は19時からの予定」

 受話器を置いて少しするとスピーカーからコール音が鳴り、ジェッソの声が流れて来る。

『ジェッソです、了解。甲板に居た全員、船内に入りました。夕飯取ります』

 駿河は受話器を取り「了解」と言って受話器を戻す。それから船窓から駐機場を見て「あそこに、どのように停めるかだが……、ええと、奥に停まってる有翼種の船の隣に船首を並べて着陸しよう」と静流に指示する。

「了解です」

「ちなみに静流さん、着陸したら交代する? 今、本来はアメジストさん担当の時間帯だけども」

「いや鉱石柱を降ろす作業の時は、私か副長の方が良いです」

「まぁ俺でもいいんだけどね。じゃんけんして決めるか」

「それはちょっと」

「わかった。じゃあ着陸したら一時間だけアメジストさんにブリッジで連絡待機してもらって、積み荷を降ろす時の操縦は俺がやろう」

「え」静流は驚いて「船長が?」

「だってこんな大物を積んだの初めてだし、操縦させて欲しいんだ! 副長も静流さんもやったんだから、次は俺だろ!」

「わかります、船長もやりたいですよね、わかります!」

「って事で、着陸したら静流さんもゴハンの時間だ」

「了解です」


 黒船は駐機場に着陸し、続いてアンバーも隣に着陸する

 黒船では駿河と静流がブリッジを三等操縦士のアメジストに任せ、二人はブリッジを出て食堂へと歩き始める。

 アンバーでは剣菱と剣宮がブリッジを三等操縦士のバイオレットに任せ、二人は食堂目指して船内通路をダダダと走る。

 剣菱は楽し気に「ゴハンだゴハン! ササッと食わんと」と言い、後に続く剣宮は「俺はのーんびり食いまーす」と呑気に言う。

 食堂の手前で一旦止まった剣菱は「席、空いてるかなっ」と言いつつ食堂の入り口から中を覗く。

 すると透がトンカツ定食を乗せたトレーを持って出入口に向かって来た所に出くわす。

「勿論。席を空けておきましたよ船長」

「流石!」

 透は夕飯を持って食堂から出て行く。それを見て剣宮が言う。

「俺も船室でのーんびり食べようっと」

 剣菱はお茶コーナーに行きカップを取ってポットの茶を注ぐと隣の配膳カウンターに置かれたトンカツ定食が乗ったトレーにそれを置く。その後ろのテーブル席では護と穣が向き合って夕飯を食べつつ話をしている。

 護が笑みを浮かべて楽し気に言う。

「うん、そんなに急いで帰らなくてもいいし、イェソド鉱石の採掘は、明後日にしてさ」

「それはそうなんだが……」

 穣は少し浮かない顔で、思案気に言葉尻を濁す。

 トンカツ定食のトレーを持った剣菱は、回れ右してすぐ後ろの護の隣の椅子に座りつつ、テーブルに夕飯を置く。

「何の話だ?」

 護は隣の剣菱を見て「船長、明日はケセドの街で遊びませんか」

「ほぇ?」

「今日、稼いだし。鉱石採掘は明後日にして、明日は街で遊んでもいいんじゃないかと」

 会話を聞いて、キッチンでカウンターに剣宮へのトンカツ定食が乗ったトレーを出したアキも、それを受け取ろうとした剣宮も、動きを止めて剣菱の反応を待つ。

「皆がいいなら俺はいいよ?」

 剣菱はそう言って箸を手に取り「まぁ俺は一週間以内に帰れればいいという覚悟で来たからな」と言いつつ味噌汁の椀を持って一口飲み、中の豆腐を箸で摘まんで食べる。

 護は「人生、奇想天外だもんねぇ」と微笑み、カウンター前の剣宮は驚いたように「有翼種の街かぁ。人間は大丈夫なのかな……」と呟く。

 剣菱は「ダメならターさんとかカルナギさんが、やめろって言うだろ」と言いトンカツを一切れ箸で摘まむ。

「確かに」

「人工種の皆は、旅行とか行けないからな。今、楽しめる事を沢山やろう。……あとは黒船さんの返事次第だ、後で聞いてみる」

 そう言ってトンカツを口に運ぼうとした途端、穣が「遊んでいいんだろうか」と呟き、剣菱は思わずトンカツを口に入れる寸前で止める。見れば穣は石茶石の時の元気が嘘のように暗い顔で、俯いている。

 ……ど、どうしたんだ……?

 剣菱も、護も剣宮もアキも、驚いた顔で穣を見つめる。

 穣はトレーに箸を置くと、溜息をついて言う。

「さっきまで楽しかったけど、なんか楽し過ぎて……こんなのダメなんじゃないかっていう声が頭に響くんだ。護と違ってアンバーは向こうに戻らなきゃならないし、戻っても向こうの状況は変わらないし、俺らが幸せになっても他の人工種達は苦しいままだし、何も変わらない……。護みたいに確実にイェソドで暮らせるならともかく、そうじゃないなら今、楽しんだ所でそれは単なる一時的な逃避で、向こうに戻った時に虚無感が酷くなりそうな……」

「……」

 皆、唖然として穣を見つめる。

 さっきまでの元気な穣とギャップがあり過ぎて、まるで別人を見ている気分になる。

 穣は大きな溜息をつくと

「なんか……自分の考えは違うかもと思いつつ、どうしても罪悪感が湧いて、ネガな考え方しかできない。やっぱどうしても、管理に責められる、こんなのはダメだ、船長にも迷惑がって思っちまうんだ……」

「全然迷惑してないが」

 剣菱はトンカツをやっと口の中に入れてモグモグと食べる。

「でも……」

 苦し気に呟く穣に、護は微笑して「わかる、分かるよ穣さん。だって俺もそうだった」と言い、箸を置いて穣を見る。

「イェソドに来た最初にさ、俺、凄く楽しかったんだけど、でもターさんに、誰かが護君を探知で探してるよって言われて、帰らなきゃって悩んだ。帰らないと皆に迷惑が掛かる、船長に長兄に製造師に迷惑がー、管理がーって悩んでたら、ターさんが俺に言ったんだ」


 『ホントの親兄弟なら君がここに居る事を、喜ぶ筈だけどな』

 『好きな事して幸せそうな護君を見て、良かったなぁと思う筈。だって俺は今日、そう思ってたよ。凄く楽しそうだったから、このまま一緒に採掘したいと思った』


「……それで俺、向こうには帰らない、イェソドに残るって決意したんだけど、それが今こういう事に繋がってる。……確かに管理の人は俺達を責めるし、人工種仲間でも俺らの事を責める人は居ると思う。でも、喜ぶ人も居るんだよ? どっちに目を向けるかだよ。そして一番大事なのは、穣さんがどうしたいか。……ってかそれを俺に教えてくれたの、穣さんなんだけどな……」

「そ、そうか?」

 穣は若干涙ぐみつつ、護に聞く。

「俺、何か言ったっけか」

 護は笑って「だって昔から、長兄と戦ってきたじゃん。自分の心を貫こうって」

「そ、そうだな」

 穣もアハハと笑いながらポロリと涙を零す。慌てて服の袖で涙を拭いつつ

「……お前、マジで……、変わったなぁ」

「ターさんのお陰だよー」

「……で、お前の変化が、カルロスも変えたんだよな……」

「そうなのかねぇ」

 護は首を傾げて「俺、イェソドで出会う前のカルさんって知らないからさ」

「まぁな」穣は苦笑し

「でもな、お前ら見てると本心から生きる事の大切さがよく分かる。そして俺もずっとそのように生きようと努力してきたのに……この有り様だ。せっかく楽しく仕事が出来たのに、気持ちが落ち込む。自分でも情けないと思うんだが……」

 涙を堪え、悔し気に俯く。

 フム……、と剣菱は神妙な顔で溜息をつくと、一旦お茶を飲んでから穣に言う。

「やっと自覚したのか」

「え」

「つまりその罪悪感があるから、無意識に自分を縛ってたんだよ」

 穣は少し顔を上げて剣菱を見る。

「……というと?」

「自分が本当にやりたい事、楽しい事をすると責められるから、そういうのを抑圧し、楽しさを感じないように感覚を麻痺させてたのが、楽しさを感じられるようになったから、それを縛ろうとする罪悪感も感じるようになったのさ」

「あぁ……。まぁ、そうですよね……光と闇はセットっていうか」

 ふと、剣宮が何か理解したように「あぁ……」と声を発して言う。

「出る杭打たれるっていう言葉があるけど、杭が出なきゃ打たれない。杭が出ようとすればする程、ガンガン打たれるって感じなのか……」

 アキが「ああー!」と納得し、護も「上手い事を言う」と剣宮の方を見る。

 剣菱も「ま、そういう事だわな」と言い「出てみて初めて、どんだけ打たれていたかが分かる。って事はつまり、本来自分が感じていた本当の感情に近づいて来たって事だ」

 護が、至極納得したように「凄く分かる」と頷く。

 穣は悔し気に「畜生」と小さく呟くと、大きな溜息をついて言う。

「ジャスパーに戻る事を考えると、どうしても心が重くなる。だがここは、乗り越えなきゃならない……」

 剣菱は若干苦笑いすると、ご飯茶碗を持ち上げつつ

「ちょっと街に遊びに行くのにこんなに悩むっていう……、とんでもねぇな管理さんの縛りは」

 言ってから箸で漬物を摘まんで口に入れ、ご飯を食べ、茶碗を置いて、穣に尋ねる。

「まぁとにかく。どうする、明日?」

 顔を上げた穣は、少し目を潤ませつつ剣菱に向かって笑顔で答える。

「勿論、街に遊びに行きまっさぁ!」

「ウム!」

 頷く剣菱。護は「よっしゃー!」と言って再び箸を手に取る。

 その時、食堂の入り口から話し声が聞こえてきて、バタバタという足音と共にマゼンタやオーキッド達が食堂の入り口に現れる。剣宮は慌ててカウンターの上のトンカツ定食のトレーを持ち「うわ来た。俺は船室に行きます」と入り口へ向かう。

 すかさずオーキッドが剣宮を指差して「うわ来た、って言った!」

「はいはい」

 剣宮はそそくさとトンカツ定食と共に食堂から出て行く。

 穣は、俺の顔、泣いたのがマゼンタ達にバレたらヤバイ、あいつらには絶対に見せん! と左手でそれとなく顔を隠しつつ、箸でトンカツを口に運ぶ。