第8章03 剣菱と駿河
一方、雲海の中で空中停止し休憩中のアンバーでは、ブリッジ前の通路で皆がお茶を飲んだりクッキーやチョコを摘まむという、前代未聞の珍しい状況になっていた。通路の真ん中にテーブル代わりに三つ置かれた丸椅子には、コーヒーを淹れたサーバーとお茶を淹れたポット、そしてお菓子の入った箱が置かれ、皆がそれを囲むように立ったり座ったりしている。マリアと穣は皆と一緒にお茶に加わっているが、ネイビーは三等のバイオレットと交代して少し休憩を取ったものの、すぐに再び操縦席に戻ってしまった。剣菱はブリッジ入り口に立ち、皆の様子を見ている。
コーヒーの入ったカップを持って床に座っているマゼンタが、ふぅっと溜息をついて微笑む。
「なんか落ち着く。コーヒーとチョコの組み合わせは最強」
すかさず透が「そう、マジ美味いんだよねぇ」と言い、マゼンタの隣に座っているオーキッドも「うん、美味いよね」と言い安心したように「お茶したら、落ち着いた。でも……」と一旦言葉を切り、少し顔を曇らせて「この首輪、怖い。あんな状態になるなんて……」
「それが分かって良かったな」
剣菱の言葉に、オーキッドはムッとしたように口を尖らせ「でも怖いよ」と呟く。剣菱は微笑んで
「……言ったろ、怖い時は恐々行くんだと。自覚って非常に大事なんだ」
「どういう事?」
オーキッドは剣菱を見る。
「自分の感情を誤魔化した所でそれは無くならない。変化には不安がつきもので、殻を破る時、時に周囲との軋轢が生まれる。そこで自分の本心が試されるのさ。……まぁ、やってみて分かったな、変化を起こそうとすれば壮絶に脅されると」
「……もし、脅しじゃなく殺されちゃったら」
「それは無いだろう。というか、例えばカルロスさんが死を覚悟で外地に飛び出したように、自分がどこまで納得出来るか、だ」
「あー……そっかぁ」
ふぅ、と溜息をついたオーキッドはちょっとコーヒーを飲み、ボソッと「信念貫けって事かぁ」と呟く。
マゼンタが「あ」と何か思いつき、オーキッドに「アレだ、『剣は天と地を繋ぐ一本の柱』って奴だ」と言い、剣菱を見て「流石は剣菱船長、剣姓なだけある!」
すると壁に寄り掛かってお茶を飲んでいた剣宮が「待って俺も剣姓ですけど……」とマゼンタを見て微妙な顔で「信念かぁ、俺、そんなの無いかも?」と首を傾げる。
剣菱が言う。
「別に信念はあっても無くてもいいんだ」
「ええ?」
マゼンタとオーキッドが怪訝な顔をする。剣菱は続けて
「信念強すぎると視野狭窄とか頑固ジジイになるからな。ちなみに『剣は天と地を繋ぐ一本の柱』ってのは、まぁ色んな解釈があるけども、『天と地を繋ぐ』ってとこがポイントで、つまり両極を見ろって事だと思うんだよ、俺は。……例えば最善と最悪、光と影、ポジティブとネガティブ、とか。何でかっていうと、人って自分が見たいものしか見えんから、見方が偏るんだよな。絶対に正しいとか絶対に悪いとかさ。視野狭窄になる。なので一歩引いて、大きなとこから見てバランスを取る為に、どっちも見るようにする。……それが、『天と地を繋ぐ』って事だと思うんだ」
「ほぁぁ……」「へぇぇー!」
マゼンタとオーキッドが感心したように目を丸くする。
「で、まぁそうやって、視野広く物事を見た上で、自分がどのようにするか決める、つまり信念を貫くって事になるが、しかし信念すら、有ると無い、の両極がある訳で、だから絶対に信念がある事が良いって訳でも無い、と」
思わず剣宮が「おぉぅ!」と驚きの声を上げて「船長、凄いっすね!」と言い、透や悠斗、オリオン達も驚いたように剣菱を見る。剣菱はニヤリと笑って「な、凄いだろ?」と言ってから「人生色々、七転八倒して学ぶ訳よ!」
「うぉぉ人生に鍛えられてる」
剣宮が言うと、悠斗が「んでも俺はストレートな人生がいいです」
剣菱はサッと悠斗を指差して「とか言ってると艱難辛苦が来るんだよ!」
「ええー」
話を聞きつつ穣はラメッシュの事を思い出す。
(あの人も、同じ事を言っていた。やっと今、理解できるようになってきた……)
剣菱が一同を見回して言う。
「さてと、皆、落ち着いたかな?」
皆それぞれ「はい」「うん」等と返事を返す。
マリアも「はい」と返事して「今は、船内なら普通に探知出来ます。いつもと同じ感じに」
「よし。じゃあ休憩終わろう。ここ片づけて」
剣菱はブリッジ内に戻り、船長席に座る。マゼンタやオリオン、オーキッドはポットや皆のカップを集めて食堂へ持って行ったり椅子を船室に入れたりする。
穣とマリアもブリッジ内に入り、マリアは操縦席の右隣に立つ。
「じゃあ、探知を再開します」
目を閉じて徐々に探知エネルギーを上げるマリア。一同は静かにマリアの言葉を待つ。
「少し、探知し易くなってきました。遺跡を感知……あれ、位置が……遺跡が遠くなってる?」
ネイビーが「風よ。風で船が流されたの」と言うとマリアは「あ、そうか」と納得して「あっち」と腕を上げ、1時の方向を指差す。
「遺跡は、この方向です」
「行こう。出発」
剣菱の指示に、ネイビーも「出発します」と復唱する。
マリアは不思議そうに「だんだん探知し易くなって来た。何なんだろう?」と首を傾げる。
穣が「ちなみに、管理とか黒船は?」と聞くと、マリアは「今の所は感じない」と答えて「ここからカルロスさんや護さんを探知出来るかな……」
そのまま暫くマリアは探知を続け、やがて顔を顰めると「あれ。また探知し難くなってきた……?」と呟く。
剣菱が指示する。
「まずは遺跡に向かおう。他の探知はそこからで」
「はい。でも何だか変……これは、さっきとは全く違う。一体何だろう?」
目を閉じたまま悩みながら探知を続けていたマリアは突然「あっ!」と大声を上げて言う。
「これ探知妨害、つまり、黒船がいる!」
一同、ハッと目を見開く。穣が拳を握り締めて叫ぶ。
「来たか黒船!」
「うん! 確実に上総君の探知妨害です!」
剣菱は思わず「黒船に探知妨害される事は考えてなかったー!」と両手を頭に当てる。
「大丈夫、絶対負けない、……負けたくない! 妨害突破してやる!」
必死にエネルギーを上げるマリア。そこへリリリリリと鳴り響く緊急電話のコール音。
「管理!」
穣の叫びに皆の緊張が一気に高まる。
剣菱は冷静に「いや、恐らく黒船だと思う。管理波が無くても緊急通信は出来る。……レーダーには映って無いが、相手は緊急通信出来る距離に居るんだな。出よう」と言い受話器を取る。
「はい、アンバーの剣菱です」
受話器から駿河の声が流れて来る。
『オブシディアンの駿河です。管理の指示です、今すぐ船を停めて下さい』
「なんで」
『なんでって、許可なく外地に』
「ところでアンタ、ウチの船と一緒にカルロスさんに会いに行かん?」
『彼は自ら黒船を降りました』
「その理由を知りたくないのか」
『しかし、その為に危険を冒す訳には』
「ならウチの船がカルロスさんに聞いてきてやる。だから邪魔するな」
『そんな勝手な事は』先を言わせず剣菱は一気に畳み掛ける。
「探知のプロとはいえ、あの人はよく一人で外地に出て行ったよなぁ! 全てを投げ捨てて行ったあの人の覚悟、そこまでして彼が求めたのは何なのか、アンタそれを知りたいとは思わんのか!」
『……』
黒船では駿河が受話器を持ったまま、苦渋の表情で俯いて黙っている。
受話器から剣菱の荒々しい声が聞こえる。
『とにかくウチの船は行くと決めたんだ。邪魔するな!』
「アンバーはそれでいいかもしれない。でも黒船は、人工種を代表する船なんです。だから歴代の船長が厳しく管理してきた。そうでなければ規律が乱れ、安定した採掘が出来なくなる。……人工種が何の為に存在するのか貴方も分かっている筈です。その象徴である本船が勝手な事をすれば、他の採掘船にも影響が」
『もう遅い。黒船からカルロスさんが逃亡したという、その波紋はもう広がっちまった』
「……それ、は……」
続く言葉が見つからずに受話器を握り締める。
『ハッキリ言おう。アンタの管理が甘いからカルロスさんが逃げたんだよ。先代のティム船長だったら彼は逃げられなかった。何せ相当厳しい人だったからな』
「……」
奥歯を噛み締め悔し気に目を伏せる駿河。
駿河の発言を聞いていた操縦席の総司は、密かにやれやれ、と溜息をつく。
(剣菱船長に何を言われてるのか知らないが、相手はベテラン船長だし、説得は無理かもな。結局アンバーも逃がしてしまうのか……)
剣菱は更に続ける。
『若くて船長経験の無いアンタが何で突然、黒船の船長になったんだろうな、その理由は? ……ティム船長が管理とケンカしたからだ。管理の意に沿わない船長になったから降ろされた。壮絶な見せしめだよな!』
駿河はバッと顔を上げて「自分が船長にさせられた理由はわかっている。……でも」と言い、喉から絞り出すように「あの方は素晴らしい船長だったが厳しすぎた! だから俺は、……まぁ、……」
そこで言葉に詰まり、目線を落として黙り込む。
続く言葉を待って暫し黙っていた剣菱は、わざとらしい大きな溜息をつくと、呆れたように言う。
『……何が素晴らしい船長なんだか。俺には単にプライド高くて威張ってばかりのクソ船長にしか見えなかったがな』
驚いて「えっ?!」と目を見開く駿河。唖然としたように呟く。
「……ティム船長、が?」
『うん』
駿河は困惑の表情で言葉を失う。
アンバーのブリッジ入り口では、悠斗が楽し気にマゼンタ達にコソコソと「船長すげぇ言いたい放題言ってるぅ!」
マゼンタもコソコソと「黒船に逆襲! 日頃のストレス発散! イェーイ」その途端、剣菱が受話器に向かって怒鳴る。
「黒船はずっと採掘量第一位のご立派な船だもんな、その地位とプライドを捨てる事は出来ねぇわな。だったらせめてウチの船の邪魔すんな!」
ガチャンと受話器を置いて通信を切ると「マリアさん、頑張って探知してくれや!」
「はいっ! 黒船には負けない!」
マゼンタが入り口から顔を覗かせて言う。
「船長! あのー、黒船の前の船長って凄い立派だったんじゃないの?」
剣菱は腕組みして仏頂面で答える。
「確かに立派なとこもあったが俺にはクソ船長に見えた」
穣が苦笑いして呟く。
「本音言っちゃった……」
黒船では駿河が怒りを抑えて無表情を貫きながら、ゆっくりと受話器を置く。
(……言いたい事、言いやがって……)
密かに拳を握り締めるが表は平静を装い、上総を見る。
「上総、妨害は?」
「続けてます」
「何とかアンバーを止めよう。それが、黒船の役目だ」
「はい」
駿河は上総にも、そして総司にも悟られないよう静かに深い呼吸をして感情を収めようと努力するが、深い劣等感は拭い切れず、つい目線が下になる。
(あのティム船長をクソ船長呼ばわりするなら、俺はそれ以下か。どうせ俺は管理の言いなりの傀儡船長だよ……)
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